<郵便箱に1枚の紙が入っていた>
「障害者施設工事に関する説明会が、いついつどこどこであります」、という、A4版のお知らせが、我が家の郵便箱に入っていました。
私はそれを見たとき、近くにそういう施設が出来そうだということに対して、素直に喜びました。もしかしたら、私の子供が暮らせるようになるグループホームかもしれないと思ったからです。それならなおのこと、説明会に出て、どんな施設なのか詳細内容を聞いてこなくてはと思いました。こういうふうに思ったことは、後になって、甚だしい勘違いのなにものでもないと思い知らされますが・・・
夫は始めから、それがどういう人たち向けの説明会かわかっていたらしいのですが、私は何も頓着せず、とにかく行かなければわからないと思い、出かけていきました。
<なんだこの空気は・・・>
終了予定の時間がかなり過ぎたというのに、まだ説明は終わらず、私でも、ちょっとなあ、段取りすごく悪いなあと思っていた頃、一人の男性が手を挙げて口火を切ると、その場が一気に気まずくなって行きました。
「ここにいる人たちは、皆この施設建設に反対をしているんです。(首を回して周囲を見ながら、そうですよね?と言う感じで)予定の時間を過ぎても、まだ説明をするというのは、どういうことなんですか。質疑応答をしたくないという訳でしょうか。」と発言しました。
そうか、ここにいる人たちって、建設に反対する人たちだけなんだ。どおりで、子供の友達の、顔見知りのお母さん達の姿が一人も見えないはずだ。
私は愚かにも、このとき初めて、この場がそういう場で、私は全くの部外者なんだと気が付きました。当日会場で配布された資料をよくよく見ると、反対する人の要望として、知的障害者の保護者は出席しないで欲しい、と書いてありました。
<反対する人たちの言い分とそれに対する返答>
こういう施設が近隣に建設されると、土地の資産価値が下がってしまう。その際の補償についてはどう思っているのか。こんな所を買う人はいないと、不動産屋に言われてしまった。
奇声を発した時、どういう対処をするのか。また、その責任は誰がどういう形で取るのか。
なぜ、こんな住宅街の真ん中に、このような施設を建てるのか。建てるなら、住宅街ではない別の土地があるはずだ。
集団で屋外を散歩させないで欲しい。
など、他にもいろいろありました。
これらの発言に対する建設側の返答は、あまり的を射ていない感じがしました。誠実に向き合う姿勢も余り感じられなかったのも、とても残念でした。
なかでも、奇声を発する場合の答えが、今までにそのような行動は無かったが、もしそういう事態が起こったら、そうならないよう対応するという安易な返答で、具体性が全くありませんでした。
ここは住民の皆さんが一番気にしていることなので、もっと納得のいく返答をすべきところなのです。問題行動を起こした知的障害者に対する具体的な対応の一例を挙げるなり、ハード面としては、防音硝子や防音壁を使用するとか、近隣境界線から○○メートル離れたところに建物を建設するとか、真剣に答えるところなのだと思いました。
「これまでが無いからと言って、これからも絶対に無いと言えるのか」というさらなる質問には、そういう行動をとる人は集団生活に適さない人なので、退去させる。また、もともとそういう人は入る資格がないので、この施設には奇声を発する人はいないから大丈夫だと答えました。
また、こんな発言もしていました。
雨の日も風の日も障害者たちが空き缶や新聞紙などの資源回収で外を回っているのを見ると、自分も頑張ろうと思う、と、施設の関係者が話しましたが、そんなことを言っても、出席者たちには届かないと思いました。仕事をする人は皆、どんな天候の日でも仕事をしているのですから。それより、障害者を理解してもらいたいなら、なぜ、是非作業所での実際の彼らを見に来て欲しいと言わないのだろうと、聞いていてとても歯がゆかったです。
双方の言い分を聞いていて、私は段々顔を上げられなくなってしまいました。
<反対する人たちの根底にあるものは?>
出席された人たちが一番心配していることは、昼夜問わず奇声を発したり、近所をぶらぶら徘徊したり、自分の敷地内に勝手に入ってきたりするのではないか、つまり、施設の知的障害者が自分たちに危害を及ぼすのではないか、不快感を与え、迷惑行為をするのではないかという心配や恐怖感なのです。
夫が、誰でも自分の家の周囲には、障害者施設だけでなく、何も建物なんて建たないでほしいと思っていると言います。そう言われると、確かにそれが本音でしょう。でも、普通の家が建つ時は説明会が開かれないのに、ここでは開かれて、たくさんの住民たちが集まることに、この問題の難しさがあるのだと思います。
出席者の皆さんのそれらの不安は、知的障害者の実態や現実を知らないから来るのだと思いました。でもそれは、自然な話で、仕方ないと思っています。
<振り返って、自分はどうだったのか>
私の生まれた家から数キロ離れた所に知的障害者の学校があって、時々そこの人たちが先生に引率されて集団で近くの道を散歩していました。子供心にも、その集団が少し異様に見えて、なんとなく敬遠している自分がいたのを思い出します。
また、周囲の大人たちの会話から、○○学園という名前のその学校が、馬鹿にされたり、一段低く見られたり、嫌悪感を持たれている感じが想像できました。
私も、知的障害の子供を持って初めてわかったのです。身近に障害者がいない人たちが、障害者のことをわからないのは、当然だと思います。だから、こういう説明会が開かれ、会が紛糾してしまうのです。
建設主体者は,そこを確実に踏まえ、なおかつスタートラインとして説明会を開催しないと、話は進んでいかないのではないかと思います。
<しっかり心に留めておきたい>
説明会に出てみて、私は世の中の現実を垣間見ました。自分の子は、やはり、世間ではこういう風にも見られているということです。
今は障害者自立支援法が制定され、昔とは比較にならないほど、あちこちに障害者の施設が出来ています。現に私の子供もそういうところでお世話になって、楽しい時間を過ごしています。
でも、そこに至るまでには、いろいろな思いがあり、軋轢があったこと、いや、それらは今も続いている。そのことは、これからも忘れないようにしようと思いました。